6.クチの地下トンネル
 
クチへ向かう道。

 ホーチミンから車で30分ほどのクチという村では、南ベトナム民族解放戦線(米軍はベトコンと呼びました)が掘った地下トンネルが観光化されています。戦争当時のその距離は、200キロとも250キロとも言われている地下トンネルの中は、解放戦線の会議室、診療室、住居、子どもの学校などが作られ、社会が形成されていたそうです。

観光化されたクチの地下トンネルの入り口
 
 熱帯の植物や木の葉などで隠された地下トンネルに出入りする穴は、細い人種のベトコンがやっと通れる巾で、その穴を見つけた体格のいい米兵が、中に入ることができないサイズというベトナム民族の細さが戦略に利用されました。

 地下トンネルを利用してのベトコンの神出鬼没さは、ジャングルの中で、米兵たちにかなり恐怖心を植え付けたそうです。クチの地下にはベトコンの参謀本部があったため南ベトナムの政府軍や米軍の爆撃が激しかった所で、枯れ葉剤も散布されています。

 ここで、侵略され続けたベトナムの簡略な歴史をガイドブックの要約で記します。ベトナムは西方への貿易の拠点として、秦の始皇帝が支配、始皇帝の死後勢力が弱まるが、紀元前111年に漢の支配下となり、以後1000年間、海のシルクロードの重要な拠点として中国の支配を受ける。

 幾つかの王朝が独立しては中国に滅ぼされ、1882年にはフランスの統治下となる。 1940年第二次世界大戦の初期、フランスがナチスドイツに破れると、日本軍が進駐、ベトナムはフランスと日本の二重支配化で弾圧を受ける。この頃北の地下組織の青年共産党員たちが、ベトナム独立同盟会(ベトミン)を結成。

 1945年8月日本の無条件降伏で、北部は中国が、南部はイギリスが日本軍の武装解除を行う。同年9月からイギリスの支援でフランスの再侵略が始まり、翌年2月に北緯15度線以南がフランスの支配下となり南北分裂。北部はソ連と中国の支援を受け、南部解放政策で南北統一を目指す。

 フランスと北ベトナムの、第一次、第二次インドシナ戦争で疲弊したフランス政府を支援する為、ケネディ大統領がアメリカの本格的な軍事介入を始める。やがてアメリカの人道を逸した無差別攻撃は国の内外から非難され、1973年撤退を開始。1975年ベトナム戦争終結、南北が統一される。

 ホーチミンは、南ベトナムの最南端に近いですから、そのすぐ近くのクチに、北のベトコンが地下にトンネルを掘って戦ったのは、驚異的なことと思います。
 日本からホーチミンへ向かう飛行機内で隣席したセンチメンタルジャーニーのアメリカ人は、ホーチミンから国内線を乗り継いで、北のハノイへ行きました。戦争当時、ハノイは米軍が近づくことのできない遠い街だったので、どんなところか見に行くのだと話していました。 続く

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