赤いネックにさわった

 
 1972年頃初めてさわったギターは街に一軒しかない楽器店のウインドウに飾られていたギブソンの美しいチェリーサンバーストのハミングバードだった・・・・・・・という書き出しは無理だ。 現実はそうはいかない。              

 中学生の時いとこから捨てられる寸前の赤いネックのクラシックギターをもらいヤングセンスという雑誌でコードを覚えアルペジオを覚えスリーフィンガーを覚えた。「サルビアの花」を知りFのコードも覚えた。しかし最初に弾けるようになったのはまだ八重歯のあった小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」だったと記憶している                       

 記憶がおぼつかないが私は最初にコードストロークよりもアルペジオの曲を選択していたような気がする。その後私は吉田たくろうを知ったのだ。                             
 私は彼の言動に非常に興味を覚えた。自分で詞を書き曲を作りそして自分で歌う。当時私の周りには山口百恵とか桜田淳子とかそういったアイドルに思いを寄せる連中がいたのだが、私は彼らを密かに軽蔑していた。            

 他人のお仕着せの歌を歌うアイドル。そんな自己主張のない人形を好きな連中の浅はかさ。(今思うと浅はかなのは私であったのだ)私は吉田たくろうを知ってギターというものに自己を表現できる伝導の道具というイメージを持ったのである。                    

 
 当時たくろうの事はいろんな事が伝えられていた。TVに汚い格好(ジーンズ)で出てきてそれをとがめた布施明を殴ったとか、1曲だけじゃ俺の事を理解してもらえないからTVの音楽番組には出ないとか、私が当時彼の言葉で覚えているのは「他人に迷惑をかけなければなにをしても自由だ」という言葉である。確かこんな様な言葉を言っていたはずである。

 (しばらくこの言葉に傾倒していたが後に私は自分自身の事だがただ生きていることさえも実は迷惑なのではないかと自問自答するようになった時がある。)

 私は赤いネックのクラシックギターで当時フォークと呼ばれていた音楽を家に帰ると毎日のように弾いていた。自信を持って言える事は、谷村新司や本郷直樹(この字かな?にしきのあきらとか野村正樹(水戸黄門の飛猿)の同期の歌手)などのように女の子にもてたいと言う思いでギターを始めたわけでは決してなかったということである。

 私は次々に出てくる髪の長いフォークの連中をガッツや新譜ジャーナルの音楽雑誌で知り坊主頭で(私の中学校は全員男は丸刈りが校則だった。)練習を繰り返し、適当に自作の曲も作っていたのである。

 しかしカセットに録音しては声質の悪さに嫌悪し録音したときのギターの下手さ加減にがっかりしながらそれでも早く髪だけは伸ばしたいと思っていたのだった。

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