ある出稼ぎ H12・4/2


 有珠山の噴火で北海道は大変である。噴火が話題になり 「鳥海山が噴火したのはいつだった」と私が聞くと会社の良識派と自他ともに認めるであろうS君が「49年の3月ですね」と言うのだった。

  「そうそう、俺はそのころ出稼ぎで昭島にいたんだ。鳥海山が噴火したってTVで見てびっくりしたよ。」
 およそ良識派にはほど遠いAさんが言うのである。
  「出稼ぎってなにしてたの?」
  「日産に行ってた。」

 そしてAさんは自分がしていた仕事の内容を話すのだった。 何でもクランクみたいなものをいじっていたらしい。(言ってる本人がよくわからないのである)
「リコールされるような車を造っていたんじゃないの」と言いたい気持ちを私は抑えた。
ついでに「ゴーンがgoneのニッサン」と言いたくなったがやはりやめた。

 おそらく日産は再生するだろうがいつまでも「技術の日産」などと言っていては まただめになる。デザインをよくしないとだめだ。

 外資が入り大変みたいだが当時の自動車産業は花形だったろう。 仕事もだいぶ忙しかったらしい。

 「それでね。段々仕事もおもしろくなってきたんだけど半年で帰った。そして次の年もう一度行った。で、今度は給料は安くてもいいから とにかく夜勤や残業がないところを探した。」と言うのである。

 普通は金が欲しくて給料の高い所へ出稼ぎに行くわけである。
 冬場に農村地帯では農業従事者は仕事がないので 都会に出ていき、 家族のために生活の糧を得るため一生懸命働いて残業なども自分から志願して稼ぎ 夜は4人くらいの相部屋でカップ酒を飲み週刊「話のチャンネル」などを回し読みしながらみんなでふるさとのかあちゃんを思いながら眠る。

 そして正月前の帰りにはブリキのロボットとかリカちゃん人形を紙袋に詰めて家族の元へ帰り子供に喜ばれるというのが 当時の正当な「出稼ぎ」というものではないかと私は考えるわけである。

 少なくとも私の父はブリキのロボットの手がペンチの先になっているようなおもちゃを買ってきたのである。
 
 しかしこの人は違っていたのだ。
 スケッチブックを買って絵を描いていたと言うのであった。どうやらそのころは独りもんであったらしい。(今は子供が3人いる)

  「へぇ〜!じゃ、武蔵野の林のスケッチとかした。国木田独歩の世界みたいだけど」 昭島にいたというので「武蔵野」が出たわけであるが私は独歩の「武蔵野」は実は読んだことはない。
ところが何と美術教室に通っていたというのであった。

 「はぁ!どこの?」 「シロガネ!」 驚いたことに港区の白金の美術教室へ通っていたと言うのであった。
 私の頭の中から自然豊かな武蔵野の風にざわめく木々の林は消え去り、代わりに白い壁の林立するマンションが現れた。

 それになぜか都ホテルと八芳園も現れた。私が以前勤めていた会社の営業所が八芳園の近くにあったからである。

 「そこで何してたの」
 「絵を描いてたんだよ、クロッキー。それもオールヌード。モデルがガウンを着てくるんだけど脱ぐとすっぽんぽん!いやーすごかった。」

 クロッキーとはフランス語で、英語でいうとスケッチの事だ。
 早めに射精じゃなくて略画の写生をしていたわけだ。

 なにがすごいかはわからないがさしずめ今ならモデルの撮影会に首から2〜3台カメラをぶら下げ駆けつける鼻の下をのばした親父連中と同じだろうと思いながらも言う。

  「まぁ一応芸術だからなぁ。ワイセツではないし。で、そのときの絵ってまだ持ってる?」
「ああ、ある。ある。」となんだが急に真剣な芸術家になったような顔で言うのであった。

  「美術教室ってなんて名前」続けて聞く
  「タカ美術学校!」
  「タカってどういう字?」
  「たかしまのタカ」と名字を言った。
  「高い低いのタカなの?」
  「違う。タカ!鳥だよ」

 普通は最初に「鳥の鷹」というものではないだろーか。
 この人は自分の知り合いの名字を 最初に言ったのであった。
 そして教室に通う傍ら都内の地図を買い込みありとあらゆる美術館や博物館を巡って歩いたというのである。

  「いや〜大変勉強になった。」と言う。
 これはしかし出稼ぎと言う言葉を使うものではないのではないだろーか。
 これは単に田舎の若者が都会へ出て日中は働き 仕事以外の時は自分の趣味を楽しんでいただけである。

 これを出稼ぎというものなら田舎から都会へ憧れて出ていき半年から1年でUターンする人はみんな出稼ぎになってしまう。

 ♪今日の仕事〜はつらかったーあ〜とはー焼酎をあおるだけーという岡林の「山谷ブルース」という歌があるが私は昔あの歌を聴くとせつなくなった。
 今は聴くことがないのでせつなくなることもないが。
 「俺たちがいないとビルもできゃしねぇ」と岡林は歌うのであるが私にはあれと出稼ぎが だぶるのである。
 
 出稼ぎとは雪がちらちら舞い始めた初冬の駅のホームで 赤い毛糸の帽子をかぶりほっぺたを赤くした幼子が長い髪を布で束ねた母に手を握られ、一緒に夜行列車に向かって手を振り、それを車窓についた水滴を手で拭いながら走り出した列車からいつまでも見ている父・・・
ATG(アートシアターギルド)の映画みたいだが私の頭の中では展開はこうあってほしいのだ。
 
 Aさんの「出稼ぎ」は「DEKASEGI」の横文字がふさわしいのである。 そこには庶民の好きな涙はないのである。

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