時計と指輪 H11・11/23


 4ヶ月ほど前から腕時計をしなくなった。きっかけは電池切れだった。
定価1万円を8000円で家人が買ってくれた時計だった。
電池は1300円くらいで交換できるらしいがしばらく交換に行きそびれていて何日かたちそのうち時計をしなくてもそんなに生活に不便を感じないことがわかったのでしなくなった

 ただ背広を着てお客さんと会うときは体面上の事もありまた話の切り上げとかに今何時ですかなどとまさか聞いたりするわけにはいかないので義弟が勤続10年で記念にもらった時計をしている。裏蓋に名前が彫ってあったりするのだから大きい会社は違うものだ。

 私はもともと身に付けるモノというのが苦手である。
健康器具なのか知らないが以前ゴールドのブレスレットをしている人々がいたがどうも好きになれない。そういう男性に限って首にもスカーフを巻いていたりするのだがはっきり言って似合わないです。
風呂上がりに旅館で浴衣を着てゴロゴロしている我々日本人にはスカーフというものは無理がある。
あれはバスでシャワーを浴びてガウンを着る欧米人がするものではないだろうか。

 話がずれてきたが時計をもたなくても時計というのは何処にでもあるので必要なときはそれを見ればわざわざ自分で持つ必要がない。
左手首からそこだけ陽に焼けないで残っていた時計のベルトの後は夏が過ぎる頃に消えた。

 たったこれだけの事でも何かから解放されたような気がする。
何故あんなに頻繁に時計を見ていたのか。
知人から「今度の日曜日に〜」と言われただけで何日かわかるわけでもないのに腕時計を見たりしていたのである。
時計があるからつい見てしまうのだが時計ひとつはずしただけで解放された気がするようになったのは自分がそれだけ色々なものを背負い込んできてしまったことから逃れたいのかもしれないな。

 今私の左手には指輪が残っているだけだ。
結婚指輪なのだがこれは結婚当初はしていなかったが何となく家人の視線を感じるようになりいつからかするようになった。

 ある時知人とスナックへ飲みに行ったとき彼も指輪をしていたのだが「先ず指輪をはずして」といい薬指から抜き取った。
指輪をしていると不都合な事があると思っているわけである。
その仕草を見ながらそこまでするかと思ったのだが人にはそれぞれ信条があるので何も言わなかった。
指輪をしても近づいてくる子のほうが承知して寄ってくるのだからかえっていいだろうと考えたりする私だが残念ながら今までそういう経験はない。

 女の子から「ちょっと〜指輪の後があるわよ」と言われたりしてしっかり姑息な手段を見破られて彼は「アハハハ」とどっかへ行ってしまったトシちゃんみたいに笑っていたが。
どうもみっともなかった。

 結婚指輪で怪我を免れたことがある。
ある時車のドアを閉めるときにうっかり開閉部に左手を置いたまま右手でドアを閉めてしまい左手の指ににガツンとドアがぶつかったのである。
あっと思ったときには遅かった。結構力がかかった。
 しかしわずか2mm程の厚さのプラチナの指輪が指を守ってくれたのである。
指輪は楕円形に歪んでしまったが指は何ともなかった。
この時は指輪をしていて本当によかったと思った。
西部劇などで銃で心臓を打たれたのにバッジや胸に入れていた聖書が命を救ってくれたなどと言う話があるが無事だった指をみてそれを思いだしついてるなぁと思った。

 私は貞淑に指輪をはめているが、家人は結婚後太りだし、一度指輪を広げてもらったのにまた入らなくなった。
だからおそらく指輪が怪我から救ってくれるということを経験する事もないだろう。
一度だけ勤め先で独身に見られたらしいが指輪で判断する男もいるのだなぁと思った。
左の薬指にしかはめたことがないが指が違うと色々意味があるようである。

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